東京地方裁判所八王子支部 昭和35年(ワ)327号 判決 1967年5月30日
原告 吉沢定行
被告 国
訴訟代理人 板井俊雄 外四名
主文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
事実
原告訴訟代理人は、「被告は原告に対し、金五、六九四、六六七円及び昭和三五年九月二一日以降完済に至る迄、年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決竝に仮執行の宣言を求め、その請求原因として次のとおり述べた。
一、原告は、昭和一九年三月一日訴外長泉寺(代表役員上野義範、以下長泉寺という)との間で、その所有に係る別紙目録記載の土地(以下本件土地という)につき、原告がその竹藪を開墾して水田とする、永小作料は、契約成立時から一〇ケ年は原告が東京都から受ける開墾補助金二五〇円を支払い、その後は両当事者で協議する旨の永小作契約を締結した。そして、原告は昭和一九年三月一三日後記のとおり、東京都から受領した開墾補助金二五〇円を長泉寺に支払い、なお昭和二〇年三月上旬には金一〇〇円を追加して支払つた。
二、原告は、昭和一九年三月五日、同都南多摩地方事務所に長泉寺と連名で本件土地の開墾申請をなし、認可と同時に開墾に着手し、家族総出で数ケ月を費し、竹根の堀起し、竹根の打ち解かし、掘出した石塊や砂れきの搬出除去、客土搬入等の作業に辛労し、昭和一九年一〇月三一日同都南多摩郡横山村(以下横山村という)役場から小作農として公認され供出して来た。そして原告は、自作農創設特別措置法(以下自創法という)所定の昭和二〇年一一月二三日現在(以下基準日という)において、本件土地で耕作の業務を営んでいたし、爾来引続きこれを営んでいる者である。
三、長泉寺は、基準日において横山村の在村地主であり、その所有農地の面積は、合計一町一反八畝四歩であつた。自創法第三条第一項第二号によると、東京都の保有面積は七反歩であるから、右合計面積中七反歩を超える部分は全部買収の対象となる。又自創法第三条第五項第四号によると、法人その他の団体の所有する小作地は、認定により保有面積を残さず全部買収しても差支えないこととなつている。
四、原告は横山村農地委員会(以下農地委員会という)に、本件土地につき、買収の上、売渡を求める旨の陳情を縷々なし農地委員会もまた、原告が本件土地を耕作していた事実を認め、昭和二四年三月と同二六年二月の二回に亘り右陳情同旨の書面を原告に提出させた。
ところが、農地委員会は一方において、長泉寺住職訴外上野義範、長泉寺檀徒総代訴外藤本為良、同訴外井上繁一等から長泉寺の土地を買収しないで財産を保全するよう依頼され、農地委員会会長訴外岡本喜一、同訴外黒沢磐雄、農地委員会書記訴外山崎万吉らを中心として、本件土地の買収計画の樹立を徒らに遷延し、遂に、昭和二七年一〇月二一日自創法廃止により、同年一二月三一日以降同法による強制的買収を不能とならしめた。
五、行政庁の自由裁量事項であつても、恣意的に著しく公正を欠く場合、たとえば、同一の条件の下で理由なく差別扱をなし、その結果著しく行政目的に反する場合は、単に不当なだけでなく裁量権の乱用であるというべきである。
農地委員会は、長泉寺の住職訴外上野義範に対してすらも、長泉寺所有の土地八王子市長房町一、六二八番の一一、畑二畝五歩、同市同町一、三六七番一、畑三畝一歩合計五畝六歩の買収売渡をなしておきながらも、原告の耕作する本件土地訴外石井千代、同峰尾吉一の耕作する長泉寺所有の土地については、長泉寺の財産を保全する目的で買収しなかつた。前記第三項で述べたように、保有面積超加の部分を全部買収すべきものとするも、訴外上野義範に売渡をしなければ原告は本件土地について、同訴外人が売渡を受けた五畝六歩に相当する地積の売渡をうけ得たこととなる。又農地委員会は、訴外上野義範に売渡処分をしても、保有面積を残さず全部認定買収する権限を有する。したがつて、いずれにしても、農地委員会が本件土地の買収計画を樹立しなかつたことは、その動機において正当でなく違法な裁量行為と言わなければならない。
六、国家賠償法において、国が賠償責任を負うのは必ずしも何々権という名称をもつた積極的権利を侵害したことを要するのではなく、「保護に価する他人の利益を違法に侵害したこと」を意味する。よつて、原告は小作農として政府から(自創法第三条第一項第二号或は、同条第五項第四号により本件土地を買収の上)これが売渡を受ける地位又は期待権を侵害され喪失した。
従つて、原告は本件土地を自己の所有とすることのできなかつた損害金八、三八九、三三五円(昭和四一年七月三〇日現在における本件土地の所有権の価額)、不毛の土地を開墾した辛苦(原告の妻は開墾中過労のため死亡した)と土地に対する愛着心を喪失した精神的損害に対する慰藉料金三、〇〇〇、〇〇〇円、合計金一一、三八九、三三五円のうち二分の一に相当する金五、六九四、六六七円の支払を求めるため本訴請求に及んだものである。
立証<省略>と述べた
被告指定代理人は、「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を求め、答弁として、原告主張の請求原因事実中、昭和一九年三月一日当時本件土地が長泉寺の所有で、かつ竹藪であつたこと、原告が基準日において本件土地を耕作していたこと、その後もまた耕作を続けていること、訴外黒沢磐雄が農地委員会会長であつたこと、本件土地について原告に売渡の通知がなかつたこと、自創法第三条第一項第二号による法定保有面積が東京都において七反歩であつたこと、昭和二七年一〇月二一日自創法が廃止となつたことは認めるが、その余の事実はすべて争う。
一、自創法第三条第一項第二号の保有面積を超過する小作地を買収する場合、いずれの小作地を買収するかは当該行政庁の自由なる裁量に属する。又、法人その他の団体の所有する小作地を自創法第三条第五項第四号により認定買収する場合も自由裁量に属する。よつて、原告が、本件土地を長泉寺より賃借して耕作していたとしても、買収の上、売渡を受ける権利又は法的地位を有するものではないし、又これを買収売渡しなかつたとしても、これをもつて違法ということはできない。
二、仮にそうでないとしても、原告は本件土地の小作農ではなく、単に事実上耕作している者にすぎない。自創法第二条によると、小作農とは、小作地すなわち「耕作の業務を営む者が賃借権、使用貸借による権利、永小作権、地上権又は質権に基きその業務の目的に供している農地」について耕作の業務をいとなむ個人である。従つて、原告は自創法第一六条にいう農地の売渡の相手方に該当しない。
立証<省略>と述べた。
理由
原告は、本件土地の小作農として、被告から本件土地の売渡を受ける権利又は法的地位を有するものと主張する。よつてこの点について考えてみるに、農地が自創法第三条によつて買収されると、当該農地の小作農は同法第一六条によりこれが売渡を受けることとなるから、当該農地が買収されるかどうかは、小作農に利害関係があることは否定できない。
しかしながら、自創法第三条は、所有制限に触れる小作地等の違法な所有状態を、買収により是正することを直接の目的としたもので、小作農の個人的利益の保護を目的としていない。小作農の保護は、右買収の段階を経過し、同法第一六条による売渡の段階に至つてはじめて直接の目的となる。
したがつて、買収の段階における小作農の前記利益は、行政処分の発効(買収)によつてうける事実上の反射的利益にすぎないから、本件原告の訴は利益がないものと解するを相当とする。そうすると、爾余の判断を待つまでもなく、原告の請求は理由がないから棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 石藤太郎)
目録<省略>